子供の頃、ワイパーが大好きだった話
子供の頃、それも保育園に通っていた本当に小さいときの頃だが、私は車のワイパーが大好きだった。
家族で車でドライブすることはそもそもに好きであったが雨の日はことさらで外の景色になど目もくれず、ひたすらワイパーの動きを追ったものだ。
その中でも私の心を鷲掴みにしたのはバスのワイパーである。
なんとユニークな形、そして動きだろうか。
すっかりワイパーの動きに魅了されてしまった私は、家でよく箸をワイパーに見立てて遊んでいた。
子供用の私の箸は小さくて短い。そんなものを振り回してところで面白みは半減である。
お気に入りは祖父の使う光沢のある長く立派な箸である。
この箸は別格だった。普通の車のワイパーの動きを再現しても十分に楽しめるがバスの大型ワイパーの動きを再現するには持って来いなのである。
そんなこんなで外で遊べない雨の日などは祖父の箸を振り回して家中を走り回り、私はよく箸を折ったものだ。
私のお気に入りの祖父の長い箸は、祖父にとってもお気に入りだったらしく、折るたびに激怒した祖父にげんこつを食らったものだ。
今考えても立派な箸であった。恐らく3,4万円分くらいの箸は折ったと思う。
祖父にしてみれば経済的にも怒り心頭に発するのは当然である。
当時は孫に躊躇なくげんこつを喰らわす祖父を恨めしく思ったものだが、小学生に上がる前に死んでしまった祖父との少なく、貴重な思い出である。
さて、そんなワイパーであるが誕生したのが今より100年以上も昔、1903年である。
産業革命以降、技術関心は目まぐるしく、10年もすれば技術は陳腐化し、新たな技術が生まれるような中、100年以上も使われ続けるワイパー。発明者はさぞ儲けたことだろう。
車も例外ではなく、車の誕生から現代に至るまでにその形状や性能を大きく変えてきたがワイパーだけは100年以上たってもその形状と基本構造はほとんど変わっていない。
SF映画などで未来的な乗り物が登場してもデザインこそ斬新であるものの、ワイパーはワイパーである。
100年前の人が現代にタイムスリップしてきたならば浦島太郎状態になることは間違いないであろうが車に付いたワイパーを見てきっと安心することだろう。
ワイパーには何の興味も示さなくなってしまった私だが、雨の日、バスのワイパーが動いているを見ると今でも祖父を思い出す。
今週のお題「雨の日の楽しみ方」